「長沢節のデッサンに浸かりすぎると個性を失う」
セツ先生のデッサンに関わった人の中から、ときおり耳にする言葉です。
何年か前から気にかかっていた言葉なのですが、言いたいことは何となく分かるのです。
「このデッサンを続けてたってオリジナル(セツ)にはかなわないし、真似だね、で終わりだよ。
大体、先にやられちゃってるから同じ路線で行ってもインパクトがないしね。
それより、早く自分の個性を見つけて勝負した方が得だって」
こんなところでしょうか。
人物クロッキーは、多くの制限を含んでいる絵画のスタイルです(特に私たちの場合には)。
①鉛筆(モノクロ)のシンプルな線描きで
②短時間のうちに
③細いモデルを描く
なんでも自由にやりたいという人から見れば、これはかなりの縛りと写るはず。
色は使えない。時間は決められている。湖やカルガモの親子は描けない。「その日の気分」は描けない・・・
クロッキーとは、絵画の自由さに制限を加えることで、その中の何かを探っていく仕事なのです。
つまりある程度、ある意味、「没個性的」なものなんです。
これをスポーツにたとえれば、分かりやすいでしょう。
ルールのないスポーツは存在しません。
また、ルールを守らないプレイヤーも存在しません(退場するから)。
そこで、先ほどのオリジナリティ(個性)という問題に突き当たります。
考えてみてください。
「サッカーは○○が考えた競技だから、オレの個性は発揮できない。いつかは自分で球技を発明したいんだ」
こんなことを言うサッカー選手が、果たしているでしょうか??
では「サッカー」を「セツのデッサン」に置き換えて考えてください。
どうでしょう?
これが、はじめに書いた、個性や損得を強調する人たち・競技場(デッサン)を去った人たちの言っていることです。
メジャーリーグには、個性的な選手はいませんか??
超一流の選手ほど、その競技(=ルール)が好きで好きでたまらない。
「最初に誰が考えついたか」なんてどうでもいい。
ルールの中にしか生まれない自由・表現もあることを知っている。
ルールの中には豊かな世界が広がっています。
安心してデッサンをプレーしてください。
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Baldwin (月曜日, 23 7月 2012 12:27)
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